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「ディストピアで、夢も希望も射出成型できる時代の到来を祝福する」

「ディストピアで、夢と希望が射出成型できる時代の到来の現実を許容するか」(B級映画のパクリ題名みたいw)

りぞーとあんどくらふと社しゃちょの武山よしてつ48歳です。10~20代は音楽、その後は35歳までフィギア師をやっとりました。

 

3Dプリンターなるものを耳にしたとたん、速攻で陶磁器業界へ避難したのも束の間、「作家物をスキャンしたデジタルデーターの入手で石膏や泥漿や木粉や絵の具をホームユーザーエンドで射出成型できる時代が来るとは思わなかった」などと言ってしまったら元の木阿弥ですからね。そのワシの逃亡の軌跡から、これからの美術工芸業界を占ってみます。

 

セラミック3Dプリンター参照動画 https://www.youtube.com/results?search_query=CERAMBOT+3D+printed
高性能スキャナー参照 https://www.youtube.com/watch?v=Z1Ubxf72y5o
メタル3Dプリンター参照動画 https://www.youtube.com/watch?v=q9-BxLwZXh0&t=744s
ゴム素材3Dプリンター参照動画 https://www.youtube.com/watch?v=K6DElzgBcJo
マジ今まで以上に機械任せで「人の手による技術」が廃れちまう「技術者なしで機械でおk」なスタイルが到来する未来しか想像できない。つーか絶対そうなると断言しておく。アメリカさんなぞすでに、3Dプリンターで射出成型するハンドガンのデーターなどが出回ってたりする。規制の緩いロシアさんなど家まで建ててる。身近な「物」から一生に一度と言える「物」まで、美術工芸業界も風前の灯火と言ってよいだろう。

 

芸術分野のもう一方の雄、音楽業界なんかも、ようつべなんかで再生回数やいいねが多い動画を元に(ビッグデーター)AIが最適化して、MIDIが演奏する音楽を背景に、イケメン部隊(CGでも可)がエア演奏するVRやARガジェットを重宝がる時代なぞがすでに到来しつつある。

 

演者もユーザーも自らテクノロジーの傀儡と化す時代の到来だ。

 

(いあそれはそれで面白そうだがw)

 

北京オリンピックで震撼した「中共の威信をかけた イケメン少女の口パク」個人の才能が国家に帰属する中共ならではの光景と思えたものが、自らの意思で人格を捨て他存在に帰属しようと言うのだから自由主義社会の皮肉そのものだ。

 

そうすると、「JKの脱いだパンツを欲しがる」と同様の、誰それがプロデュースした(TVで見た人だからとか・知り合いの知り合いだからとか)から的な価値観に信用を見出してコスパ良くハズレの無い「ゴミ」を売る状況が、これまでによりをかけてパワーアップして存命してくだけとなる。みたいな事だよねと。

 

 しかしながら、そんな搦手を使って産業省と共謀してとか美人絵師だからとかでブレイクしても、ネットの特定班に速攻で「さのった」「トレースした」などと暴かれる時代であるからして。20世紀のように「マイナーな古代文明のデザイン」とか「アフリカの一部族」のデザインをパクっても己が生きてる間に暴かれる事が少なかった時代と比べればリスクが大きいと言わざるを得ないしそんな手法に未だ頼る作家などは、暴かれる迄もなくAIとの勝負に負けてメインストリームを歩いて行けなくなるだろう。コピペ勝負で機械に敵うわけがない。これまで逃げ切った作家らも、これから半世紀の間に、死して尚ガッツリ暴かれて(野口英雄のように)醜態を晒す事になるだろう。震えて待てm9(^Д^) (ぷぎゃー)

 

つーか音楽業界なぞ80年代から(口パク・エア演奏・ビジュアルデフォ)すでにそうなってる。ジャリタレを配して物事の本質を探らない連中から搾取するビジネスだ。脱出して正解だった。ん-そう考えると、テクノロジー業界と演者との確執みたいな話になるんだな。わしのこの半生はそれらからの逃亡の軌跡みたいな物なのかそうなのか。ここ10年ほどその演者の復権に一役買ってたのがようつべ(これまたテクノロジー)だったのに、結局はクラウドファンディング同様「プロモーションの一形態に過ぎない」なんつー、電通のお家芸に飲み込まれて行くなぞ、初めから分かって居た事とは言えその既視感には心底反吐が出る。(インディーズなぞ初めから無かったことになってるくらい)

 

かといって猿回しのサル(演者に専念してプロモーションは専門家に任せる)になるのはわしには無理。魂が許さない。猿と猿回しとが不可分で「主体」と「客体」とがそもそも一体である形態を放棄せず踊りたい。プロモーターと演者の間、資本家と経営者、労働者の間には深い溝がある。これは決して埋まらない。ミケランジェロもマルクスも言ってた。わしもそう思う。人は分かり合えない。だからこそ美しいのだ。

 

( ,,`・ω・´)ンンン? なんぞこれマルクスとかw

 

もしや革命を説いてるのかわし?wwww

 

脱線しすぎぞw

話しを元に戻そう。

そうするとピカソのように自ら作って自らプロモートするほかなくなる。しかしながら、「その為の方便としての芸術」が世に溺れてしまった。現代アート(コンセプチュアル)(知性・言語的)(資本・投機的)の惨状たるや目も当てられない。「概念をクリエイトする」なぞ大仰なこと言ってる割に、結局は、より頭が良くて金持ってるやつを幇助する(教養面で)事で成功を手にするマネジメントなど許容できない。それもやはり人格を捨てた「犬に成り下がる行為」そのものだ。そんな、自分に苦しむ(苦しまない奴もいる)プレイヤーの死体で埋め尽くされる世界など望む奴だけでやってくれ。わしはその死体を蹴飛ばして先に進む。まっぴらごめん被る。

 

金に物言わせた信用でゴミを大層な物に仕立て上げて売り抜ける現代美術工芸の情弱を搾取するビジネスモデル。手前の教養と信用を担保するための装置としての美術品に頼る馬鹿な金持ちとその顧客を抱える界隈と距離を保もち自主独立に歩む。ギャラリストの顧客リストに頼らない生き方。  

 

キュレーターやギャラリストらの信用(名前)に頼らない「物その物をアピールする」消費者との距離の在り方。  それを可能とする「場」の熟成。 

 

そうするとほら、中抜きされる技術そのものに価値を見出すスタイルの確立を説くみたいな。えっと、それって結局中抜きできない技術の保存と伝承?うーん、・・・。物その物の価値を認めてほしいのに、それを可能とする技術に価値を見出す?

 

と、あれ?それって千利休じゃね?いわゆる「道」ってやつ?

 

・・・と腑に落ちかけた数秒後に、「いあでも、茶道こそ死んでるじゃん」と我に返るよねこれ。

 

 

アンタこんだけ上手になったからそれに見合うこの道具を買いなはれ、などと、教授する者と共謀した、情弱を搾取するカルト的手法が、これだけ情報化の進んだ21世紀を生き残れるとは到底思えない。

 

ついでに言えば「用の美」などと言って、日本中の職人仕事の技(デザイン含め)を搾取して成立した金持のボンボン共の同人活動を賛美するなど100周遅れでお呼びじゃない。あの頃より格段に何もかもが進んでいるのだからね。当時の物など時代性を考慮しても最早ゴミにしか見えない。(もちろん、日本のオタク文化の手法を搾取して成立してる現代アートとかも最初からお呼びじゃない)

 

が・・・ヒントにはなる・・・?

 

これはもしや「人間復権運動」的な話になってゆくのか?わしはルネサンスか?社会の仕組みを許容できないで逃走を図る中2病かこれwこれだけテクノロジーの発達した社会で?絶滅寸前の技術の保存と伝承とか、

 

くたびれた博物館で昔ながらの製法を披露してる蝋人形のように?

 

縁日で子供たちに飴細工を作る職人のような?

 

ん-それもやはり死んでいると思える。いや蝋人形になるのは嫌だけど、縁日の職人は素晴らしいよ。それらが端っこにやられる状況こそが気に食わないのだから。存在ではなく状況。おっと、これが思考の糸口か。ふむ。

 

となると、パフォーマンス性をもっとこう前に押し出して・・あれ?ライブ?ライブっすか?結局そこっすか?しかし物の出来る制作工程をライブするってのも楽器演奏を披露するような訳には行かんよね。だからと言って、土を壁に投げでぐちゃっとしたのを焼いて「芸術でーす♪」なんてのも「知名度を焼いた」に過ぎないわけで反吐が出る、いやむしろ殺意しかわかない。

 

音楽であれば周りめぐってライブにこそ価値ありなんて転結は出来るけど、  んーそうするとライブはライブでも、CD(スピーカー越し)でもようつべ(モニター越し)でもなく、目の前の演者と一体となり一つの時空を創りだし、その日その時その状況でしか産み出せない必然と偶然とが織りなす一期一会をですね。

 

 

あれ?どこかで聞いたフレーズぞ?

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これら「焼き締めの灰被り」の魅力の一つに窯変があります。窯変とは土と火の起こす偶然性にとんだ神秘的な化学変化。計算外の思いもよらない要因が結果として一つの芸術を産み出すことを言います。偶然性をも許容するその工芸精神は、自然の山河を思わせる作風で世界中で評価、賞賛が高まってきてます。

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うちの工房の焼き物のセールストークに酷似しとるね。あーそうするとやはりワシは、焼き物にライブを求めてたってわけね。そうだよね。同じだよね。ワシBANDやってた若い頃から何一変わっとらんわ。あひゃひゃ。

 

ん-ーーん”ーーーーー であるなら、お客さんと一体となり「陶芸の体験」って、ある意味、理想的な状況にあるのでは・・・?

 

うひゃひゃ。あへあへ。

 

あれ?あれあれ?食べて行くための方便に思ってた、現事業の「陶芸体験」が、よくよく考えてゆくと、まさに自分のやりたい事その物だったってこと????

 

うーダメ、頭がショートしてくたたたた。

 

少し整理してみる

 

 

①誰それ風なデザインされた「物」が欲しいだけならネットで出回るであろうデジタルデーターを入手して家で「樹脂」「金属」「鉱石」「木」「塗料」などを出力するプリンターでコピーすれば良い。

 

(平面写真から立体をおこせるソフトなど既にある)

 

②物を作るための機械を作る人間(エンジニア)と操る人間は、ひたすら需要しかない。でもわしもそうだったが「フィギア師」から「3Dプリンター使い」になろうとは思わなかった。そうする道もあったのにしなかった。それはやはり違うなと。

 

 

③単に物として消費したいだけの物は限りなく大量生産品ですませば良い(MoMAとか無印とか100円ショップなど/ワシの中じゃ同列)

 

④他人様の制作した物を買う必要性は限りなく減るが、「誰それが作った物」などが主流となり、より「何が作られたか」は問題と無くなる。「イケメン」「元アイドル」「TVで見た人」「大御所作家の弟子」などの、「名前プロデュース」がこれまで以上に問題となる。

 

④受け入れるのか抗うのかの二択だが、受け入れたら終わりだと思ってる。

 

⑤抗う道の一つとして、エンドユーザー自身の中にある技術(物を作る工程を楽しむ)への欲求を汲み取り、「ライブ」として共有する道はどうかと・・・。

 

⑥不特定多数に語り掛けるようつばとかインフルエンサー的な手法は顕示欲と承認要求の強い連中に任せて。目の前にいる個人、一人一人の手を取り技術を伝え「あの時一緒に作った人」との関係性を育む。実直に地味に関係性を育む。

 

⑦そうすると、「陶芸体験工房のスタッフ」の殻を破り「一個人」をもう少し前に押し出した形での工房運営へと舵を切ってゆく必要がある。

 

消費者と「生リアル」に技術と物品を直販する時代の到来。 その為の窓口として機能する工芸体験の場。

  

誰それの作った物が欲しいという欲求も無くならないけど 自分で作りたいという欲求も無くならない。

 

なぜなら「にんげんだから」。

あーーーつながった。まとまった。 

 

最後無理やり感あるけどつながったつながったあーはは。 

良い夢見れそうだ。

よしよしヾ(・ω・`)