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「芸術」とは

「芸術」とは

・ダンボールに新聞紙を巻き、針金で固定します。

2010年4月29日(木)

日本では「芸術」「芸能」「芸道」を一緒くたに語り
これらを混同したかと思えば

「応用美術」「大衆芸術」「純粋芸術」とに分け
ヒエラルキー的に認識してたりと、とにかく混乱が絶えません。

ここでこれらの事には詳しくは触れませんが

私の捉えた芸術とは「芸なす術を可能とする精神性を体現する道(スパイラル)」をさします。

上に挙げた6つの要素の中庸的かつ統合的概念だと考えてください。

そしてそれを可能とする者、または志向する者を含めて「アーティスト」と呼称するのだと考えてます。

似たような存在として「サイエンティスト」「フェロソフィア」を挙げておきます。

サイエンティストは、「ある事物や現象を説明するにあたり、考えられる様々な仮説から、誰にも検証できる、再現性を持つ実験や観測を行い、その結果に矛盾しない説明を選びだす」人々であり

アーティストは、「信念や思想、感覚や感情を表現するにあたり、考えられる様々なアイデアから、誰しも再現出来ない独自性を持つ表現を行い、その結果、類を見ない感応を創り出す」人々でありましょうか。

科学者や哲学者は様々な分野で研究し思惟を重ね、それぞれの分野において
独自の理論や発見を重ねる人々であるからして。

相対性理論を発見したのはアインシュタインただ1人であり
無知の知を説いたのはソクラテスです。


独自の発見をした者に冠される名誉ある称号であり
尊敬を持って呼ばれる呼称。

唯一無二の発見や表現を奏でる者こそ「ザ・サイエンティスト」であり「ザ・アーティスト」であると考えます。

つまり、人類の文化活動に「節目」(金字塔とも言う)をつけた人々です。

そのくらい、私にとっては「アーティスト」は尊い存在であり、
だからこそ、そこを目指すのには「目的であり目標」になるという事なのです。

したがって、独自の表現に至らない表現を行う者は
アーティストではない私と同等の存在であり、どんぐりの背比べに過ぎないのです。

しかし世の中では発見の無い研究者やエンジニアの事も
「サイエンティスト」と呼びますし。

独自性の無い者や模倣者をも「アーティスト」と呼んだりもします。

何を持って独自とするか、何を持って模倣とするかは曖昧ですし。
知識教養には個人差があるので遺憾ともし難わけです。

自身のオリジナリティに興味はあっても
他者のオリジナリティに興味の無い者が唱えるオリジナリティほど
滑稽な物は無い(他の誰もが思いつきありふれ過ぎてるので実行すらしない事を、始めたのは俺だと躍起になるレベル)わけなのですが。

鑑賞者どころか作ってる本人ですら知らなかったりなんてのは当たり前で。

余程アンテナを張ったつもりでも

物事を知れば知るほどに結局のところは
「自分が何を知らないのかすら知らない」事実に突き当たるのみです。

しかしこれらの自覚があるのと無いのとでは大違いですし。
これは大きくは表現者側の問題ですが鑑賞者側にも同様に言える事でしょう。

確信犯的に、これらのギャップを利用する者も絶えません。

ですので、芸術の発表や評価、鑑賞には
心の「クーリングオフ」期間を設け、余裕をもって俯瞰的立場を持って接するか、
好きとか嫌いとかのごく個人的な観点に走るかが問題となるのですが。
好きにしろ嫌いにしろ作品そのものと
評価を下す己にも俯瞰的立場を持って接するのが確実でしょうか。

とまあ、作品を製作しながらこんな事を考えてみたりするのも
久々の創作活動だからでしょうかね。

こんな事考えてると「何を頭でっかちな」と思われてしまいそうですが。

私は右脳と左脳の両方を統合駆使して、
全脳を持って「芸術」や「科学」に触れて理解したいのです。
そのくらい私はアートを愛してます。

文章※武山よしてつ