房主あいさつ

こんにちわ、ほけきょ庵・庵主、ハ〇ヤ・師範の武山よしてつです。

ホームページに遊びに来て頂きありがとうございます。

 

わたしは幼少の頃より家族旅行で訪れた伊豆の伊東・伊豆高原が大好きでした。

カブトムシやクワガタが沢山取れるし、海ではサザエやあわびが取れ

自然の中で力いっぱい遊べたからです。

小学5年生の時に、定年退職した母方の爺さんの住む家が伊豆高原に出来ました。

夏休み、冬休みと過ごすうちに「将来ここに住みたいな」と心の片隅で漠然とながら思いました。

 

・妹と爺さんとわたし・・1982年、辺りには民家も少なく森の中の一軒家でした

image000263.jpg

 

その後も、年に数度は伊豆高原を訪れるようになるのですが、

海のない県の平凡な団地で育った私には、この伊豆高原は天国とも思える特別な場所でした。

 

東京で暮らし、夢を追いかける日々を過ごしつつ、

様々な挫折を味わい人生に行き詰まりを感じていた35歳の時

誰も住まなくなった伊豆の家に思い切って引っ越すことを決意しました。

 

知り合いが誰もいない迷路のような毎日から始まり、じょじょに友人も出来、観光業にも慣れ

陶芸の工房を主宰する事にもなり日々幸せを感じつつ生きています。

 

・ほけきょ庵はスタッフによるセルフビルド・手作りです

image003076.jpg

 

「ほけきょ庵」と言う名前はわたしの母がつけました。

最初は「ほうほけ郷」という名前を私が考えていたのですが、

少し硬いと悩んでいた時にぽんと母の口から出ました。

 

なぜ、「ホケキョ」と含ませたかったのかといいますと、

 

体験教室の構想を練りだしたその年は、暖かい日が続き

2月の中頃からウグイスが鳴き始め、しかも何時もの年よりもたくさんたくさん鳴いていました。

辛い時でもあの鳴き声をきくと心休まるから不思議です。

あのコケティシュで脱力感に満ちた鳴き声は覇気がない時も、頭に血が上っている時も

「ぷぷっ」と笑いをもたらすのですから。

 

・息子と娘、自然の中でのびのび育ってます。

 

image003208.jpg

その年の「ホケキョ」の鳴き声は洪水のようでもありましたが、

とても心地よく幸せな気分にしてくれました。

 

そんな年の5月に妻に求婚し、その半年後には結婚しました。

ウグイスの「ホケキョ」の鳴き声は求愛の行動と聞いています。

ウグイスが何時もの年よりも沢山繁殖し、桜も早咲きでしたし作物なども豊作。

ホタルも近年まれに見る銀河のように舞った年でした。

 

今思うと、あの年はそういう年であり、

私もそう言う大きなサイクルの中で生きているんだろうか。と振り返った時、

この年を一つの記念にしておきたかったのだと思います。

 

それプラスもう一つ。

伊豆に遊びに来た皆さんが、

 

「ホーホケキョ」の泣き声→「ホケッ」→「惚ける」→「のんびりする」→「癒される」

 

と言う願いも込めてます。

 

 

image003226.jpg

 

 ポッポ流 焼き物道場 ハ〇ヤは、私と同世代(昭和40年代産まれ)で関東出身の方ならご存じだと思いますが、

ハ〇ヤは、ハマルヤと読む方もいれば、ハトヤと読む方もいます。

埼玉出身の房主が子供の頃にTVCMで頻繁に流れていた「伊東に行くならハっ、トっ、ヤっ♪」

へのリスペクト&インスパイアです。

他にも、「聚楽♪よ~~~~ん♡」ってのもあり、当時の関東の子供らは、

ハワイの次に行ってみたいのが伊東で、新幹線の次に乗りたいのが踊り子号だったのです。(当社調べ)

 

ほけきょ庵とハ〇ヤは小さな体験教室ですが、面白いと思うことを

詰め込むだけ詰め込んだ趣味的な空間でもありますし。

「作る」事を丁寧にしっかりと体験できる環境だと思います。

 陶芸の面白さを体験していただく事はモチロンですが

伊豆の友人に会いに来た感覚、別荘に遊びに来た感覚で楽しんで頂ければ幸いです。