伊豆高原アートフェスティバル「世界は遊び場」

・The world is a playground. 武山よしてつ ~漆喰彫塑と虹のインスタレーション~

伊豆高原アートフェスティバル


伊豆高原アートフェスティバル77番目の会場・ほけきょ庵では、
陶芸作品、手芸作品の展示販売を行いました。

期間中には仏をモチーフにしたインスタレーション作品作りを来場の皆様にごらんいただき、
作品の完成してゆく様を見学出来るよう趣向を凝らしました。

光と水と空気と虹と、自然の要素をスクリーン投影した漆喰素材の彫塑仏陀。
誰にも簡単に視覚・直感的に楽しめるよう工夫してみました。

現代で生活する我々は誰しもが生身の釈迦・仏陀を知りません。
これは千年前に生きた人も二千年前に生きた人も同様です。

仏像を彫る仏師たちも例外ではありませんから、
仏像をモデルに製作された仏像で世界は溢れかえっています。

既にデッサンされた石膏彫刻をデッサンするような芸術活動で
自分自身の創作意欲を満たすことは、私には出来ません。
仏像を見て仏像を作るくらいなら、自ら作ることなく既製品に求めれば済む話なのです。
それは表現者の姿勢ではなく鑑賞者の姿勢そのものです。
私は仏像に興味があるのではなく釈迦・仏陀に興味があるのです。

釈迦をモチーフに創作を行うならば、釈迦とは何かを理解する必要があるでしょう。
二千五百年の間に彼の教えにかけられた数多のフィルターを取り除き、
彼の教えその物に近づく事が必要となるのです。
小乗仏教と大乗仏教に別れる前の釈迦が唱えた教え。
道教やヒンドゥー教の影響を受けていない教えそのものに迫る必要があるのです。

奈良や京都、鎌倉などで見られる仏教彫刻の数々は、それはそれで美しいのですが。
仏陀の教えそのものを表現してるとはとても思えません。
そもそも日本に仏教が伝わったのすら、仏教が世に出てから一千年のときを経ているのです。

伝播する途中には、伝言ゲームのようにその土地の文化、他の宗教観や神話をもを吸収し
釈迦の教えとは程遠いものになってます。現世仏教の数々を否定する気はありません。
ならば「釈迦の教えとは程遠い」と言う私の理解も何者にも否定できるものではありません。

お前に釈迦の何がわかると問われれば
お前こそ何を知っているんだと問います。

この「タブー」を私は冒したいと思います。

製作にさいし最も注意したことは、仏陀の説く世界観を視覚・直感的に得られるように
「荘厳」「重厚」などの従来の装飾を廃す事です。

二千五百年の間に身にこびり付いた垢や汚れを落とすように、
数多の僧侶。仏師・職人が、ゴテゴテに装飾したそれらの要素を引っぺがします。

薬師も如来も観音も孔雀も毘沙門もなんもかんも廃します。
これらは後の人々の都合により付け加えられた装飾に過ぎません。

菩薩も阿修羅も明王も天部も否定します。

それらバリエーションは楽しくも美しくもあるのですが
これらはむしろ「仏陀」そのものに近づくことを阻害しかねないとの判断です。

私はこれから貴方が今まで見たことのない仏像をクリエイトします。

極端なことを言えば、自室の部屋のすみにインテリアとしても存在が邪魔にならない様な、
シンプル&モダンな仏陀の姿を創造する事になるはずです。

この仏陀は、普段は工芸品やおもちゃ作りを生業とする私が行う芸術活動の1作目です。
それはまるで洗練されてない物であり表現としては稚拙なものです。
何故なら作り続けていないからです。

当然のことながら作りながらも
あ~すればよかったこ~するべきだったと反省点が見つかる
とても楽しい作業でした。
これからどのような返還を辿るのか自身とても楽しみです。

文章※武山よしてつ