伊豆高原アートフェスティバル「本物の美しい生活とは」

・漆喰の造形物をプロジェクターに見立て可視光線で彩る

伊豆高原アートフェスティバル

2010年5月13日(木)


「「美しい」と「本物」を掘り下げてみることにします。
今度は表現者側の理屈ではなくて消費者側の理屈も交え話を進めてみます。

「本物」とか「美しい」などのキーワードを語るときに
真っ先に頭に浮かんだのが白洲正子です。

消費社会の主役であるマダムのカリスマであり。
当代一の目利き、"ほんもの"を知る唯一の人といわれた白洲正子

彼女を形成したであろうバックボーンをなぞってみると見えてくる事実があります。


白洲正子自身は「随筆家」と言う肩書き。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AD%A3%E5%AD%90

父は日本の実業家、政治家。樺山愛輔伯爵
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%B1%B1%E6%84%9B%E8%BC%94

祖父は薩摩藩士の出目で、のちの海軍大将でもあり政治家でもあった樺山資紀伯爵。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%B1%B1%E8%B3%87%E7%B4%80

夫は、終戦連絡中央事務局次長、貿易庁長官、吉田茂首相の側近であった白洲次郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E

夫の父 白洲文平は、貿易会社白洲商店を創業巨万の富を築いた実業家。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%96%87%E5%B9%B3


・白洲正子は幼い頃より


文芸評論家小林秀雄(長女明子は白洲次郎・正子夫妻の次男兼正の妻)に薫陶を受け
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84_%28%E6%89%B9%E8%A9%95%E5%AE%B6%29

志賀直哉や武者小路実篤、また梅原龍三郎や安井曾太郎といった芸術家たちのパトロンとしても知られた細川護立に古美術を学び
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E8%AD%B7%E7%AB%8B


・主だった交友関係に


日本洋画界の重鎮・梅原龍三郎や、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%8E%9F%E9%BE%8D%E4%B8%89%E9%83%8E

細川護立の孫、肥後熊本藩主だった肥後細川家の第18代当主。細川護熙(後陽成天皇の14世孫にあたる)と旧知の仲。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E8%AD%B7%E7%86%99


白洲正子の「同級生」だった「三宅一生」は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%85%E4%B8%80%E7%94%9F

今なお人気を誇るルーシー・リーと親交があり
彼女の作品を多数コレクションし日本に積極的に紹介してる。


この流れからすると、現世の美術観は、
日本史の勝者たるものどもの影響力無しには語れないと思います。

白洲正子の家系をたどると大政奉還時に活躍した薩摩藩に行き着きます。
薩摩藩はその後の日本の政治の中枢をなし
日本の流れを大きく形作ってるのですが。
美術の世界での影響力もまさにそうなのです。

薩摩藩は日本が初めて参加した国際博覧会である
1867年のパリ万国博覧会に国の威信を引っ提げて参加してます。

薩摩藩は「日本薩摩琉球国太守政府」の名で
幕府とは別に展示し、独自の勲章(薩摩琉球国勲章)まで作成し。
幕府は薩摩藩に抗議したにも関わらず聞き入ず、
幕末の政争が如実に現れた万博だったそうです。

これらを辿るに、歴史の勝者の価値観・美術観=時代の価値観・美術観
とも言えるのではないでしょうか。


しかしこれら歴史の勝者の推す「美」や「本物」これも確かに美しいのだけど
これもやはり単なる「教養」であって相対的的な価値観の中にどう位置づけるかの物事でしかないのです。
だって「美しい」と言う価値観は元来絶対的な物ではなく相対的なもののはずですよ。

例えば「太陽」だってほとんどの国では信仰の対象ですが
砂漠の国では強く照り付ける悪魔として神話に登場したりします。
日本では井戸茶碗は持て囃されますが朝鮮では雑器です。

そよぐ風、美しい木漏れ日も地球産まれの私たちには心地よいかもしれませんが
火星出身の生命には居心地悪いかもしれません。

それがまるで、何の疑問も無く
「太陽は神様(天照大神)で井戸茶碗は高級な物。自然とは美しい物」
と語られてるじゃないですか。


それらの「美」や「本物」も私は好きですし。
学び教養として身につける事はあっても。
それはあくまでも「教養」という名の「装置」であり
下で述べる時の権勢に由来する囲いその物でしかないのです。

この世の中は、「ワタクシ」程度であれば手足を伸ばして
大声出して叫んで、力いっぱい走り回っても、余りある広さを湛えてます。

ですから、たいていは過不足無く自由を満喫し人生を謳歌できるのですが。
実際にはそれよりも更に外に、世の中を規定する大きな「囲い」があり、
庶民はそうとは知らず搾取され続けます。

それは日本で言えば、この国の民主主義の背後に潜む
「天皇家と華族・公家が何百年も国の中枢たり続けてる歴史的事実」であったり。

若者があるとき抱える閉塞感と世の中突き破ってぶち壊したい。といった願望は、
これらを敏感に感じ取り発する本能の雄叫びであるのでしょう。

年をとると、その現実も許容できるようになり
ぶち壊したい。突き破りたいよりも「いかにその中で泳ぐか」に
力の方向がシフトしてゆくのだけども、それらの現実も許容しつつ
その囲いの更に外に広がる無限の地平に、美しさや価値観を求め、学び、生きる。

これが出来れば幸せなんじゃなかろうかと思うのです。


白洲正子は生前、本物とか美しいを語るとき整理して語ってません。
漠然と「自分がそう思うからそう思う」程度の認識です。

これはやはり「そう教わったからそう思う」という教養であり。
産まれた時から囲まれて育った調度品や骨董趣味の爺やたちに感化され・仕込まれてそう思うのでしょう。


だからこそ消費者の目線で語れたのだし。
だからこそマスにも支持もされたのでしょう。

彼女は表現者では無く消費者の代表のような人物であり。
教養の範囲で美しいとか本物を語る人達の代表のような存在。
だというのが私の見解です。


だとするならば、「表現者」と「消費者」の境界線は


技そのものや作品も含め既にある物・伝統を継承するのか


新しい物を創出するのか。


囲いの中に目を向けるか、囲いの外に目を向けるかの違いと
いう、ごく単純な結論が落しどころというのが私の見解です。

つまり「千利休」はアーティストですが
「千家の人々は」継承する人々で消費者である私達の側と言う結論です。

仏陀は神の如く語られますが
その弟子達は人間の如く語られるのと同じ事でしょう。


だとしたら、「表現者」として生き抜くには
国家のシステムがどうであろうと。
不景気だろうと。政治が荒廃してようと、戦時下であろうと。
権威が「美」を規定しようと薦めようと
どのような状況、環境であろうと

「芸なす術を可能とする精神性を体現する道(スパイラル)」

を突き進む。

その為の環境作りも含めた挑戦が芸術家の人生であり。

それら「権勢下の美意識」や「大衆」に迎合する事無く
それを乗り越えた「美」や「本物」を追求する。

そして芸術を愛する方と交友を持ち、
共感しあい共に何かを作り表し。
権勢にも大衆にも提示できれば幸せなんじゃないかなと思うんです。

整理して簡単に言うと、

安全な柵の中で生きてる集団が居たとして。
その囲いの外にひょいと飛び出て、
その囲いの中には無い「ちょいとした物」を拾ってくる。

そんな風に生きてみたいと思うのです。


芸術談義に話を咲かせたい方はほけきょ庵へとお越しください。
共に語らいましょう。


文章※武山よしてつ